楽をしようとする人ほど努力する

「楽をしようとする人ほど努力する」というと、一見矛盾しているように感じられるかもしれません。ですが、結構な場面で事実だったりします。

たとえば、ギャンブルで稼ごうとなったとします。

ギャンブルをしない人からすると、楽をして稼ごうなんてなさけない、とか思うでしょう。

しかし、本当にギャンブルで稼ごうとすると並大抵の努力では無理です。

パチスロを例にしますと、まず、最低限の能力として目押しという技術が必要になります。目でクルクル回っている表示を把握し、タイミング良くボタンを押して揃える技術です。

いまのパチスロではこれだけでは勝てるわけではなく、その台の癖を把握したりする必要があります。また、短時間でポンポン稼げるわけでもなく、長時間、パチスロ屋に居座る必要があります。

こうして、本人の行動をしっかり見ると、実は努力家であることがわかるかと思います。

他のギャンブルでも同様です。競馬でしたら、競馬新聞の読み方から、調教師の発言の真意を読み取り、騎手の調子や癖を考慮し、馬の状態を見て、などなど、さまざまなチェック要素を考慮して当たり馬券を考えていくわけです。その過程で行われる努力は筆舌し難いものがあるでしょう。

傍から見るとギャンブルで稼ぐのは怠け者の証と捉えられますが、本人が行っている行動は、まさに仕事と同様です。逆に自らで考えていく分、単調な仕事をしている人よりかは、崇高な行為といえなくもありません。

もっとも、ギャンブルをしている全ての人が、こうした思考をしているわけではなく、単に遊んでいるだけの人も多いため、一般的に褒めるに値しないわけですが。

今回はギャンブルを例にとりましたが、他のことでも同様です。

あいつは楽しているな、と思って自身を納得させるのは簡単ですが、それまでの過程や陰に隠れて行っている努力を見逃すのは愚かと言えるでしょう。

世渡り上手だね、という人もいますが、世を渡るのも技術ですし、努力すればできることですから。